東京周辺のお祭りに行ってきました>北関東のお祭りに行ってきました>石岡のおまつり |
毎年9月15日と敬老の日を最終日とする3連休 | ||
2017年9月18日 | ||
茨城県石岡市総社2-8-1 | ||
巨大な山車と山車と幌獅子が、石岡ばやしを奏でながら練り歩く | ||
“石岡のおまつり”は正式には“常陸國總社宮例大祭”といい、常陸國總社宮のもっとも重要なお祭り。 千年以上の昔、国司の重要な任務のひとつに国内の神社の管理と祭事の運営がありました。
国司は国内の各神社を参拝する儀式がありましたが、これを効率化するため、国司の近くに各神社の神々を一堂に集め、祀ったのが“総社”。その常陸国の総社が“常陸國總社宮”です。 神さまを心底から敬いながらも、自分たちの都合の良いようにカスタマイズするところが、いかにも日本人らしい(笑)。
例大祭は毎年9月15日と敬老の日を最終日とする3連休に行われます。
お祭りの大きな流れは、以下のとおりとなります。 初日の神幸祭は神様がお神輿に移り、町内を練り歩き、仮殿に泊まります。 2日目の奉祝祭は相撲や神楽を奉納、幌獅子や山車の大行列なので、神様をもてなします。 最終日の還幸祭は仮殿で二晩過ごした神様がお神輿に移り、町内を練り歩き、本殿に帰ります。
今回は最終日の還幸祭を見に行きました。 |
13時過ぎに石岡駅に到着。駅前はもうお祭りの雰囲気がこれでもかと充満していました。とにかく熱気がすごい。
駅前の広場に止まっている山車を発見。山車の上に巨大な人形が取り付けられ、その下の舞台でお面をかぶった演者が石岡囃子とともに踊っていました。
まずは、常陸國總社宮へ向かいました。石岡駅からまっすぐ伸びる御幸通りとその先の丁路地がお祭り会場となっており、観光客と巨大で豪華な山車であふれていました。 観光客をかき分けて進むこと15分。常陸國總社宮に到着。
神社はお祭り会場のにぎやかな雰囲気とは違い、観光客はまばら。静かで凛とした雰囲気でした。 大鳥居をくぐり、参道を進んで突き当りを左に曲がると、奉納相撲が行われた土俵や随神門がありました。
昨日、この土俵では神様をおもてなしする相撲大会が開かれました。
随神門をくぐると、奥に拝殿と本殿が見えてきました。 まずは拝殿に参拝。立派で荘厳な拝殿と本殿でした。
石岡のおまつりは、川越の氷川祭、佐原の大祭とともに、関東三大祭のひとつと呼ばれています。 境内をひととおり散策して、お腹がいっぱいになったので、お祭り会場に戻りました。
御幸通りまで戻ると、八幡太郎の山車の前で、石岡囃子が披露されていました。
各町内の山車14台、幌獅子32台がお祭りを盛り上げます。
つぎつぎと山車が御幸通りにやってきました。通りを巨大な山車がギリギリですれ違って行きました。
山車の上の舞台で仮面をかぶった演者が踊りながら、下では女性の皆さんが扇子を片手に歌っていました。 14時になり、狼煙の合図とともに、供奉行列が始まりました。 供奉行列は、神主さんを先頭にささら、幌獅子、猿田の彦と続きました。
そのうしろを神様が乗ったお神輿がやってきました。豪華で立派なお神輿です。
巫女さん、氏子・役員と続き、幌獅子の集団が練り歩きました。
幌獅子は大きな獅子頭から布が伸びて、囃子衆が乗り込む移動式の小屋が胴体となっていました。小屋は幅2m、奥行き5m、高さ2.5mととにかく大きくて特徴的。ちなみに石岡市のシンボルマスコットも獅子です。
大きな幌獅子が何台も何台も続きました。このまま32台が続くのでしょうか。
数台の幌獅子を見送ったあと、供奉行列のゴールとなる常陸國總社宮へと向かいました。 |
常盤國總社宮の参道でしばらく待っていると、15時30分過ぎに供奉行列が姿を現しました。 ささらは乗っていた台車から降りて歩いてきました。あの台車は大きすぎて、参道を通れなかったからでしょう。 ささらのうしろを幌獅子が2台通りました。
神様を乗せたお神輿も戻ってきました。神様もおもてなしを十分に楽しんだことでしょう。
お神輿のうしろを巫女さんや幌獅子が続きました。
境内の広場は人とお神輿、幌獅子でいっぱい。土俵の前にお神輿を下ろし、三三七拍子で締めました。
お神輿は土俵の中央に納められました。
土俵の前で神様にささら踊りや獅子の舞を奉納しました。なんとなく名残惜しくなってきました。 白い布でお神輿のまわりを覆い、御霊移しの儀が行われました。
白い布に覆われた神様はゆっくりと随神門をくぐり、拝殿から本殿に戻っていきました。 ここでお祭りは一区切り。でも、神様が本殿に戻ったあとも、お祭りは終わらず、夜更けまで続きます。 |