東京周辺のお祭りに行ってきました>千葉のお祭りに行ってきました>佐原の大祭 |
毎年10月第2周目の金・土・日曜日 | ||
2016年10月8日 | ||
千葉県香取市佐原イ1020 | ||
若者よハロウィンだけじゃない。日本には昔から立派な収穫祭がいくつもある | ||
佐原の大祭は、7月に行われる夏祭りと10月に行われる秋祭りがあります。夏祭りは佐原の中心を流れる小野川を挟んで東側の八坂神社、秋祭りは西側の諏訪神社の祭礼として行われます(夏祭りは、昨年行った「佐原の大祭 夏祭り」を見てください)。
今回は10月に行われる秋祭り、諏訪神社の祭礼に行ってきました。
お祭りのキャッチコピーは「三百年もの年月が過ぎ、今も尚、受け継がれる佐原の宝」。
佐原の大祭のウリは、とても大きくて豪華な14台の山車。この大きな山車は古い町並みの残る町内を巡行します。
また、佐原囃子(さはらばやし)と呼ばれる祭囃子を山車の上から演奏し、お祭りをより盛り上げていきます。
今年は3年に一度の「年番引継行事」も行われます。年番とはお祭りを取り仕切る大役で、各町内が持ち回りで行っています。
ノスタルジー漂う町並みに、14台の巨大な山車が行き交う、ちょっと変わったお祭りです。 |
当日は残念ながら大雨。傘をさして佐原駅から諏訪神社を目指しました。
道中で巡行中の山車に遭遇。大雨のため、透明なカバーに覆われていました。この大雨なら仕方がありません。
14台の山車は一列に並んで町中を巡行し、16時頃、忠敬橋を先頭に香取街道に整列します。
透明なカバーの中では、下座連(げざれん)と呼ばれる囃子手が乗車して、佐原囃子が演奏していました。
諏訪神社の本殿は急こう配の石段の上にあります。雨に濡れているので、滑らないよう気を付けて登りました。 諏訪神社はお祭りとは無縁で、人気(ひとけ)がなく、静寂に包まれていました。 それにしても、雨がきつかった。あとから思うと、この頃が雨のピークでした。このあと、雨は止んでいきます。
諏訪神社を出たあたりから、空が明るくなり、雨があがりました。 雨があがったので、山車も透明なカバーを外していました。カバーの中から立派な人形が顔を出します。
忠敬橋の手前に到着。ここに、巡行中の14台の山車がやってきます。
忠敬橋は小野川に架かっています。小野川沿いの町並みは古い町並みが保存されており、観光名所になっています。 また、佐原はもともと芸者街があったため、この整備された建物の裏には当時の名残りがあちこちに残っていました。
しばらく待っていると、先頭の山車がやってきました。 先頭は新橋本地区の“小野清風”。先頭は年番の地区が努めます。今年はこの場所で18時20分から“年番引継行事”が行われます。
次々と巨大な山車が到着。忠敬橋を先頭にして香取街道に整列します。2番目は下分地区の“小楠公”。南北朝時代に活躍した楠木正成の息子である楠木正行です。 年番引継行事は3年に一度行われており、新橋本地区から下分地区に引き継がれます。
巨大な山車は二層構造になっており、上部には巨大な人形、下段では下座連(げざれん)と呼ばれる囃子手が佐原囃子を演奏します。
建速素戔嗚尊は、他の人形と比べて少し雰囲気が違います。顔が小さい。
山車が集まるとともに、忠敬橋の手前から香取街道は人で大渋滞になりました。
人形は移動中は座っており、定位置に着くとニョキニョキと立ち上がり、フル装備になりました。
定位置についても、佐原囃子は続きます。笛の音色はなんだか哀愁が漂っている気がしました。
巨大な人形も素晴らしいのですが、人形を乗せている山車に施されている彫刻もすごい。とにかく豪華です。
諏訪大神は巨大な人形はなく、鏡と榊のような植物があるのみ。これまた不思議でした。
日本武尊が器用に角を曲がってやってきました。山車は角を曲がるときは、力技で方向を変えます。よって、木製の車輪は角を曲がるたびに、少しずつちびてしまいます。
11体目は浦嶋太郎。このあたりまで来ると、巨大な山車に対する驚きも少なくなってきました。
牛天神の人形の制作は江戸後期と古い。建速素戔嗚尊と牛天神の人形のみが江戸後期の作成で、残りは江戸末期から大正時代の作成。この作成時期の違いが、人形の雰囲気の違いになっている気がしました。
17時も過ぎ、だんだんと暗くなってきました。まさに、秋の日は釣瓶落としです。 暗くなるにつれて、各山車は提灯の準備をはじめました。
最後は源義経。これで14体の巨大な台車が香取街道に揃いました。
18時20分からはじまる年番引継行事まで、各山車の鑑賞・写真撮影タイム。年番引継行事を待ちました。 |
時間が進むにつれて、年番引継行事が行われる忠敬橋に人が集まってきました。
日が落ちて、あたりは真っ暗になりました。真っ暗な中、提灯のあかりに照らされる山車はなんとも幻想的。
17時半過ぎ、あちこちの山車の前で手踊りがはじまりました。
この時に流れた曲は“砂切(さんぎり)”と呼ばれる特別なものだそうです。
手踊りが終わり、年番引継行事がはじまる18時40分までひたすら待ちます。 先頭の藤原清風が動き始めました。忠敬橋の手前まで進み、そこで180度のターン。向きを変えて、山車は整列している13台の山車の横を通り、列の最後尾に向かいました。
次の年番になる小楠公(楠正行)から労いの垂れ幕。なんだか良い光景でした。 このあと、19時40分頃から曳き分れとなり、各山車は町内へと戻っていきます。 このような大きなお祭りを年に2回(夏祭りと秋祭り)も行う佐原の底力にただただ圧倒された一日でした。 |